巷(ちまた)では、twitterやインスタなど、少ない言葉で様子や思いを伝えることが日常化してきました。
小難しい文をダラダラと並べるよりも、一瞬で理解できるので大変便利です。
しかし、ショートメッセージ文化だけでは、正しい日本語の理解が危うい気がします。
ただでさえ、省略言葉でのコミュニケーションは世代間で、「?」となりがちですからね。
しかも、大人になれば書類を読み込み、理解する力が要求されますから、未来を生きる子供たちには、正しい日本語を身につけさせたいものです。
人は、言葉で考えます。
今、日常生活は正しい言葉で溢れているでしょうか?
言葉の危うさ
会話は楽しいものです。
分からなければ、聞けばいいし、互いに分かっていることであれば、端折ってもかまいません。
A:「コーヒー飲む?」
B:「ありがとう。」
A:「砂糖は?」
B:「ブラックで。」
会話として成り立っていますね。
しかし、正しい日本語にしてみると
A:「コーヒーはいかがですか?」
B:「お心遣いありがとうございます。それでは、いただきます。」
A:「コーヒーにお砂糖を入れた方がよろしいでしょうか?」
B:「お砂糖は結構です。ブラックでいただきたいです。」
となります。
こんな会話を家族や仲間ですると、なんか面倒臭いですね。
しかし、言葉を覚える途中の子供がずっと省略言葉の環境の中なら、言葉の力がつきません。
高校入試の問題を解けない生徒の多くが、問題文の意味が分かっていません。
つまり、問題まで行きついていないのです。
日常の貧困な言語環境が招いた結果です。
この言語力の差は容易には埋まりません。
なにしろ、言語の勉強は国語の勉強だけではなく、圧倒的に日常が大きく影響するからです。
会話のない家庭、省略言葉の家庭、新聞や本と無縁な家庭。
言葉の力が鍛えられるはずがありません。
残念です。
家庭に本を
忙しい日常の中、家庭の言語環境をとやかく言われても、改善は容易ではありません。
そこで、子供には本を読ませましょう!
読書の効力を示す証拠はあります。
私が小学校の校長だった時に、読書量と成績のデータをまとめ、相関を調べました。
すると、こんなことが分かったのです。
本を読まなくても成績の良い子はいる。
しかし、本をたくさん読んでいる子に成績下位の子はいない。
読書の秋です。
今回はここまでにします。
次回をお楽しみに。