大人の責任

大人の責任(54) 本を読もう

巷(ちまた)では、twitterやインスタなど、少ない言葉で様子や思いを伝えることが日常化してきました。

小難しい文をダラダラと並べるよりも、一瞬で理解できるので大変便利です。

しかし、ショートメッセージ文化だけでは、正しい日本語の理解が危うい気がします。

ただでさえ、省略言葉でのコミュニケーションは世代間で、「?」となりがちですからね。

しかも、大人になれば書類を読み込み、理解する力が要求されますから、未来を生きる子供たちには、正しい日本語を身につけさせたいものです。

人は、言葉で考えます。

今、日常生活は正しい言葉で溢れているでしょうか?

言葉の危うさ

会話は楽しいものです。

分からなければ、聞けばいいし、互いに分かっていることであれば、端折ってもかまいません。

A:「コーヒー飲む?」

B:「ありがとう。」

A:「砂糖は?」

B:「ブラックで。」

会話として成り立っていますね。

しかし、正しい日本語にしてみると

A:「コーヒーはいかがですか?」

B:「お心遣いありがとうございます。それでは、いただきます。」

A:「コーヒーにお砂糖を入れた方がよろしいでしょうか?」

B:「お砂糖は結構です。ブラックでいただきたいです。」

となります。

こんな会話を家族や仲間ですると、なんか面倒臭いですね。

しかし、言葉を覚える途中の子供がずっと省略言葉の環境の中なら、言葉の力がつきません。

高校入試の問題を解けない生徒の多くが、問題文の意味が分かっていません。

つまり、問題まで行きついていないのです。

日常の貧困な言語環境が招いた結果です。

この言語力の差は容易には埋まりません。

なにしろ、言語の勉強は国語の勉強だけではなく、圧倒的に日常が大きく影響するからです。

会話のない家庭、省略言葉の家庭、新聞や本と無縁な家庭。

言葉の力が鍛えられるはずがありません。

残念です。

家庭に本を

忙しい日常の中、家庭の言語環境をとやかく言われても、改善は容易ではありません。

そこで、子供には本を読ませましょう!

読書の効力を示す証拠はあります。

私が小学校の校長だった時に、読書量と成績のデータをまとめ、相関を調べました。

すると、こんなことが分かったのです。

本を読まなくても成績の良い子はいる。

しかし、本をたくさん読んでいる子に成績下位の子はいない。

 

読書の秋です。

 

今回はここまでにします。

次回をお楽しみに。

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