私たちは、物事を決める時に、二者択一で◯か×のようにして判断しています。
しかし、本当に、そんなに簡単に、心の中のレフェリーが、物事をスパっと判断できているのでしょうか?
実は曖昧な人間の判断
子どもが、学校の決まりを破った時に、先生から
「なぜ、こんなことをしたの?」
と問われたとします。
指導する先生は、なぜ×の方を選んでこの子は行動したのだろうと考えています。
しかし、人間の判断は、二者択一でないことの方が多いと思います。
つまり、二進法的な、1か0ではありません。
迷って行動した時は、2対0くらいの僅差に例えられるかも知れませんが、それも違います。
同じ2点の僅差としても、51対49の差だと思います。
悪いことをした時でさえも、30対70くらいではないでしょうか?
ですから、大人は、30対70の判断で悪いことをしてしまった子が、せめて51対49になるように、意味を説明し、理解させることが必要です。
もし、片方の考えを「0」と考えて判断したとしたら、それはよく考えていないことを表します。
ですから、魅力的だけれど世間からは悪いとされる考えに対しても、そちらを選ばなかったことを説明できる力が大切だと思います。
厳しさが招くもの
説明の力を前提にして、子どもを躾けていかないと、いくら大人が、顔色を変えて、大きな声で
「そんなことをしたらダメだ。分かったか!」
「返事が小さい!分かったか!」
と強く思いを伝えたとしても、子供の理解は違います。
例え、子どもが
「はい。」
と答えたとしても、子どもが分かったのは
『あなたが、怒っているということ』
と言った笑えない結末に辿り着きます。
その後、間違った選択をしてしまう可能性は一時的に減りますが、少しケースが違えば、失敗します。
厳しい叱責は、薬と同じ。
私も血圧安定のために薬を常用していますが、長期間飲んでいると、薬に対しての耐性ができてきます。
厳しい叱責に耐性ができていったら、次は暴力でしょうか?
強豪校の部活動で、時々鉄拳制裁や指導が入るメカニズムが透けて見えます。
考えてみれば、日常の生活は、選択の連続です。
朝ご飯のおかずから、着る服から、バッグに入れるものまで、選択しながら1日が始まります。
ということは、何かが起こって、子どもに自分で選択させるのではなく、日常から、その機会を作ってあげることが大切です。
時代が忙しくとも、親や教師が指示ばかりを続けるのは控えたいものです。
結局、子ども力を奪うからです。
子育てでは、自分の内面や考えを表現することを大切にする大人でありたいものです。
今回はここまでにします。
次回をお楽しみに。
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