前回、問題の解決で、体罰はありえないと言いました。
では、社会の中に転がっているさまざまな問題は、どうやったら解決の道筋が見えるのでしょうか?
私は一つの解決策が、データによる分析だと思っています。
昨日もロッテの佐々木朗希が快投を演じましたが、根性論で育成されていたら、とうの昔に肩や肘を壊していたことでしょう。
甲子園予選の決勝での登板を回避させた監督の判断に賛否両論ありましたが、今の活躍を見ると素晴らしい判断をしてくれたものだと感心します。
なぜなら、あれだけ屈強なメジャーリーガーの投手でさえ、1回の登板あたりの投球数は100球以下です。
体が出来上がっていない高校生の佐々木投手が、根性論で連投を強いられていたら、そのダイヤモンドみたいな才能は潰されていたことでしょう。
「水を飲んではいけない。」
「肩を冷やしてはいけない。」
「気持ちで行け!」
末梢の血管がブチ切れていてすぐにアイシングをしないといけないのに、肩を冷やすことが許されなかった昔。
今でも、部活動も含め学校の根性論を払拭するのは難しいものがあります。
だからこそ、今回の問題をチャンスとして捉え、社会全体で指導のあり方を変えたいものです。
証拠なしの根性論
前任の学校時代、私は校則を抜本的に変えようと必死でした。
先生方も協力してくれて前には進みましたが、十分ではありませんでした。
校則を緩めたら、「学習態度が悪くなる」「生徒の雰囲気が崩れる」と心配をする先生も多かったからです。
その昔、九州各県の男子生徒は坊主でした。
甲子園に出場する選手も坊主。
髪の毛を伸ばすことは自由なはずなのに、色気に走るからとでも思ったのでしょう。
思春期は、自分や異性を意識するのが当たり前です。
成長ホルモンの影響で、男女の体に変化が出てくる時期に
「自分や異性の体の変化は無視しとけ!色気に走るな!」
というのは、思考停止の指導。
心も体も劇的に変化する時期に、どう向き合うかを教えるのが学校教育なのに、ルール変更の議論さえ許さないのは、教師の怠慢です。
何でも結論ありきの部活動ではなく、生徒と共に考える時代が来ています。
坊主でない高校球児、ミサンガをつけているサッカー少年、ビビッドな色のシューズを履いているテニス少女。
それらの容姿と、性格や成績との相関をデータで検証したこともないのに、頭の硬い教員が根性論で指導してしまう。
AIの時代に、何をやっているのでしょうね。
今後、未来の主役たちのため、働きかけていこうと思っています。
今回はここまでにします。
次回をお楽しみに
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