本日無事に、退職の辞令をいただきました。
辞令は、たったの9文字。
「定年により退職する」
38年間の教職生活でしたが、支えてくれた多くの方が蘇ります。
22歳の大学出たての私は、人間としても浅はかで、とても教師の責任を果たせる器ではありませんでした。
多くの保護者は、不安に思ったはずです。
しかし、暖かく私を受け入れ、子供達を任せてくださいました。
私が育つのを待っていてくれたのです。
今の時代は、新規採用の教員にもベテランと同じレベルを保護者は求めますが、昔はおおらかに待っていてくれた気がします。
失敗を繰り返しながら、私は少しずつ先生になれました。
教師としてのスタートを支えていただいた初任校の保護者に改めて感謝を伝えたいです。
僻地の学校では、教育の原点に触れました。
純粋な子供たち。
自分の狡さや誤魔化しが恥ずかしくなりました。
愛する子供たち。
別れの式では、子供たちを抱いて涙が止まりませんでした。
そして、次の学校でも・・・・。
教育者は、子供を育てるのではなく、子供に育てられるのかもしれません。
万感の想いを込めて
今日の辞令交付式では、以下のように校長会の会長として挨拶を締めくくりました。
9文字の辞令をいただき、38年間の教職生活を終えることができました。
万感、胸に迫るものがあります。
特に最後の1年は、辛いものがありました。
自分の癌治療、新型コロナウィルス対応など、ギリギリでした。
なぜ、こんなに辛いのかと自分の後ろを振り返ると、当然あるはずの足跡が一つ足りなかったのです。
これまで共に頑張ってきたはずなのに、足りない足跡は教育委員会の足跡だろうかと疑いました。
いろいろ仕事に協力したのに最後は突き放されたとも思いました。
もしかしたら、校長会の足跡が足りないのかとも思いました。
自分一人で背負って、皆はついてきてなかったのかと。
さらに、職員の足跡が足りないのかとも思いました。
引退間際の校長と共に歩くのを止めたのかと。
しかし、よくよく見ると足りないのは自分の足跡でした。
どの足跡も深く地面に食い込んでいます。
私は皆さんに背負われてゴールに辿り着いたのですね。
さぞ、重かったことでしょう。
そのことを口にもせず、黙って背負っていただき有難うございました。
ここにいる皆さんは、これから県内で管理職や事務局職員として活躍される方です。
どうぞ、これからも背負い背負われ、助け合って、本県教育を充実させてください。
教育は尊く、価値ある仕事です。
よろしくお願いします。
花に花時があるように、校長にも咲き誇る時期があります。
私の花時は今日をもって終わります。
無理して咲いて朽ちるのは本意ではありません。
最後に一句
「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
有難うございました。
今回はここまでにします。
次回をお楽しみに。
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