卒業の季節が近づいてきました。
ヒット曲には卒業をテーマにしたものも多いですから、誰にとっても大きな節目です。
卒業といえば、気になる異性にその気持ちも伝えられずに巣立っていたのは昔話でしょうか。
私は、そうは思いません。
人間の脳は1万5千年ほど全く進化していませんから、いくらスマホで簡単に伝えられるとしても送信ボタンを平気で押せない若者も多いはずです。
万葉集には、貴族から農民までさまざまな短歌がおさめられていますが、人を想う気持は同じです。
時を超えて、現代にも共通します。
もうすぐ日本全国で秘めた想いを抱きながら卒業していく多くの若者がいるはずです。
さて、卒業を表す英単語に、commencement があります。
意味は、始まり
アメリカらしい単語です。
私も来月commencementの時を迎えます。
今を生きる
人は皆、紆余曲折しながら、今の立場にいます。
同じ校長にも、それぞれの物語があります。
若い頃は、早く出世する人が認められていて、遅い人は認められていないと憤っていました。
しかし、退職を前に思うのです。
出世が早かろうが遅かろうが、魅力的な人は、その時その時、意味のある時間を過ごしているのだと。
「投げられたところで起きる小法師かな」
という有名な句がありますが、自分の納得の場所でなくても寝転んだままではありません。
何度投げられても
畳の上でも、地面の上でも起きてきます。
場所を選ばぬ地道な日常の積み重ねが、未来の自分を作る大切な時間だと教えてくれている気がします。
先日、前任の教頭が校長として赴任した学校での取組みを手紙で紹介してくれました。
彼なりにこれまで温めていたものを展開しています。
彼もいろんなところに投げられて、そこで起き上がって今を作ったのでしょう。
今の教頭も必死で起き上がってきます。
きっと、明るい未来が待っています。
人事の季節がやってきます。
全員の希望が叶うような魔法はありません。
しかし、皆が、そこで起きる小法師であったらと願います。
子供たちは卒業
我々大人は、仕事を続けようが、退職しようが、commencement
始まりの季節にする大人の度量を見せたいものです。
今回はここまでにします。
次回をお楽しみに。
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