参議院選挙が終わりました。
各党の主張は、どのように有権者に伝わったのでしょうか?
「伝える」と「伝わる」は、大きく違います。
ましてや無責任なコメンテーターが解釈を曲解すれば、事実そのものも歪められます。
安倍晋三元総理がお亡くなりになり、ますます伝え方が大切だと思ったところです。
正しく伝える
学校からも、毎日多くの文書が生徒に配られます。
その全てが伝えるためですが、その文書量たるや一月もあれば本ができそうです。
学級担任が想いを持って書いている通信は親にとっても有難いのですが、ターゲントがぼやけている文書は時に迷惑です。
些細なミスを取り上げて糾弾する世相から、
「ちゃんと国民に伝えました。」
「学校にも通達しておきました。」
とアリバイづくりに躍起です。
政府の文書などは、時に数十ページにも及びます。
内容のひとつひとつはどれも大切ですが、細かなところまで知らせすぎると、全体がぼやけます。
一番伝えたいことが伝わらなければ意味がありません。
しかし、網羅的に伝えないと、一部の劣化したマスコミが、重箱の隅を突くような攻撃を始めますから困ったものです。
個人の権利が一人歩きしすぎです。
話はずれますが、前回の衆議院選挙での安倍首相への妨害は酷いものでした。
反対の立場であれば、公開討論会をしたり、別会場で主張したりすれば良いのに、拡声器を使って酷い言葉を連発していました。
それに対して地裁に訴えた裁判では、邪魔する方の無罪が確定しました。
「表現の自由」
だそうです。
おかげでその後の選挙運動では、邪魔をする輩を排除することが難しくなりました。
警備が及び腰になったのです。
しかし、地裁は「表現の自由」だけを言ったのではありませんでした。
邪魔する人を有罪にはできなかったけれど、「表現する方法や場所はよく考えてください」と判決を下したのです。
ところが、「有罪」でないことが権利を得たように伝わってしまいました。
伝えた内容は正しくても伝わった内容が違っていれば意味がありませんね。
自分で決めきれないのに、問題提起する人を叩く。
無責任で実現不可能なことを言って有権者から、票を盗む。
私たちは、何を伝えているのかを理解するだけでなく、どう伝わったかを政治家にフィードバックする責任があると思います。
feedbackとは、親鳥が撮ってきた昆虫などを小さくしたり、柔らかくして、雛鳥が食べやすくすること。
私たち国民も政治家へフィードバックする。
それが、質の高い社会なのだと思います。
今回はここまでにいます。
次回をお楽しみに。
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