「英弘(えいこう)」「 久化(きゅうか)」「広至(こうし)」「万和(ばんな)」「万保(ばんぽう)」
新型コロナウィルスの感染拡大で、世の中が新しい元号のことを忘れてしまいましたが、これらは、新元号の候補だったものです。
最終的には、新元号は「令和(れいわ)」となり、私たちは、その時代を生きることになりました。
この元号制定に関わった多くの人たちは、たった二文字の漢字に、次代への願いを込めたことでしょう。
それは、「美しい調和」。
ところが、コロナ禍のドタバタ劇は、「醜い不協和」にしか感じられません。
悲しいことです。
名前の意味
ところで、最近、清原和博のyoutubeを観る機会がありました。
あれだけの大スターも一度失敗をしてしまって、必死に這いあがろうとしているのだとその人間ドラマを興味深く観ています。
彼の名前の「和博」。
何だか元号とオーバーラップします。
必死になって、今を生きる彼の人生のヒントは、その名前通り、「博(ひろ)い範囲の人と交わり、大切にし、和やかに生きること」なのだと勝手に思っています。
彼の場合は、「博打(ばくち)」の「博」になってしまったのでしょうが、ここから本来の生き方に戻っていくのだろうと応援しています。
誰にとっても、名前は大切です。
なぜなら、どの名前にも名付けてくれた若い両親の祈りや願いが込められているからです。
妊娠して誕生するまでに、いろんな夢を語りながら、 最後にたどり着いた願いがひとりひとりの名前です。
若い両親は、呼び慣れない名前を、はにかみながら何度も呼んで、微笑んだはずです。
その時々で、「ちゃん」がついたり「さん」が ついたり「くん」がついたり、時には呼び捨てにされたりしながら、呼ばれるのです。
私は、「癌」を宣告されて、一番に思ったのは、遺される家族の行く末でした。
まだ、一人前になっていない我が子の幸せを考えたのです。
お金は大丈夫だろうか?
相談相手になる役目は誰ができるだろうか?
色々と考えて、最終的に行き着いたのは、名前の通りの人生を歩めたらいいなと思いつきました。
「やっぱり、名前は、親の願いであり、祈りでもあります。」
名を呼ぶ方も、呼ばれる方も
そのことから、もっと名前を大切にしたいと考えました。
最近は、顔は浮かぶのに名前が出てこない情けない状態でもありますが、心掛けで覚えられそうです。
毎日見ている道端の雑草も、名前を覚えると、他と区別ができるようになります。
名前を覚えないとただの雑草。
人間も同じかも知れません。
世の中は、夫婦別姓の論議もありますが、その前に「名」をどれだけ大切にしているのでしょうか?
反省しきりです。
そして、名を呼ばれた時に、元気よく「はい」と返事ができない若者を見過ごしてきたことにも気づきました。
「今更だけど、名を呼ばれたら、しっかり『はい』と答えよう。
それは、自分の名に込められた願いが刻まれる作業なのだから。」
と話してみようかな、、、。
今回はここまでにします。
次をお楽しみに。
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