相変わらず、世間は新型コロナウイルスや旧統一教会問題、安倍元首相の国葬問題などで騒いでいます。
いい加減、新型コロナウイルスについては、新たな指針を示してほしいものです。
この3年、かけがえのない3年、密な青春からは程遠い学生生活を強いられた中高生のことを思うと胸が締め付けられます。
国全体の死者総数は、この3年間で減少していますから、過度な対応の無意味さが浮き彫りになります。
旧統一教会問題は、よくわかりません。
安倍元首相を狙撃した容疑者の類似犯が2度と出ないようにしてほしいのですが、論点はそこにはないようです。
不思議なことです。
もともと、憲法では内面の自由が保障されています。
もちろん、霊感商法など論外なのですが、内面の調査までし始めると、何が良くて悪いのかを誰が判断するのでしょうか?
怖いことです。
世間全体が、告げ口社会になっては困ります。
もっと根本を考えられないものでしょうか?
今日の話題は、色づき始めた宮崎の田園から、米問題を考えてみます。
偽の食料自給率
カロリーベースですが日本の食料自給率は30%強。
その数字だけ見ると、東シナ海のシーレーンが破綻すると国民が飢えてしまいそうで怖くなります。
しかし、終戦時の日本でさえ、何とか食べ物がありました。
米が今の2倍取れていたのです。
今は、国が減反政策をとっていて、主食を減らす努力をしています。
不思議なことです。
日本は潜在的には、今の3倍ぐらい米ができます。
もちろん、政府の買取価格の米価は維持できないでしょう。
多く余った米は、輸出の回されることになります。
それも安い価格で。
でも、それでいいのです。
耕作地を集約し、大規模化し、世界で戦える農家を作ればいいのです。
今の政策では、農業従事者を高齢化させ、零細化させ、後継者をなくすばかりです。
主食生産を減らす政策を続ける国など、世界にありません。
何しているのでしょう?
もっとこういった問題を議論できないでしょうか?
マスコミも次世代につながる課題を洗い出してほしいものです。
今日は、ここまでにします。
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