大人の責任

大人の責任(50) ともに学ぶ

教員をやっていた私にとって、教えると教わるは固定化された関係でした。

つまり、教師が教える側、生徒が教わる側です。

時には柔軟に対応したつもりでしたが、生徒側の受け止めはどうだったのでしょう?

一方向の関係が強すぎると学校も職場も楽しくありません。

家庭でも、大人が教える側、子供が教わる側と固定されると息苦しいですね。

昔は圧倒的な知識と経験を持った大人が、教える側として鎮座していても問題はなかったのでしょう。

しかし、今は、スマホの中に何でも入っています。

大人の知らないバーチャルの世界では、子供の方が自由に遊び回っています。

互いの知見を出し合って社会生活を送りたいものです。

というのも、今、私が入っている勉強会には、教え子も私と同じ立場で参加しており、とても楽しいのです。

致知の勉強会から

月に一度の勉強会では、「致知」の3つのトピックスから1つを選び、互いの考えを消化したり、評価したりします。

参加する人は年齢も性別もバラバラ。

唯一の共通点は、自己成長に貪欲であり、他の価値観も吸収しようとする柔軟さがあるところです。

そこに、教え子も参加しているのです。

有機農業で頑張っている彼は、ローカルスーパーマルイチの会長に可愛がられており、この勉強会に行き着いたのです。

単に農業を極めるだけなら、知識や技術の勉強会だけでよさそうです。

しかし、人間学を学ぶ勉強会では、「何のために」を学びますから、野菜づくりの目的がぶれないのでしょう。

話を聞くと、学ばされることがたくさんあり、目から鱗が落ちていきます。

同じ価値観や同じ職場の人ではない、しかも年齢も違う人の経験や考え方は至宝です。

そこで、強く思うのです。

学びは双方向だと。

虚心坦懐で、自分の考えにこだわらず、何でも試すことが、自分の可能性を広げることになるのだと

かつての教え子は、今の私の先生であり、私が今や教え子です。

こういった関係を大切にし、自分を豊かにしていきたいものです。

学校では、先生が絶対知として君臨し、社会の変化に無関心で、平気で現状維持を主張する先生がいます。

残念なことですし、ある意味罪深いとも思います。

退職し、立場的にはフリーになりましたが、何らかの働きかけができればと考えています。

 

キーワードは、「ともに学ぶ」ですね。

 

次回をお楽しみに。

前回はこちら

大人の責任(49) 人生の第2ステージ?先日、私が住んでいる町で第3回目の木鶏会がありました。 発起人は、県内でローカルスーパーを展開している「マルイチ」の高木会長。 ...

 

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