教員をやっていた私にとって、教えると教わるは固定化された関係でした。
つまり、教師が教える側、生徒が教わる側です。
時には柔軟に対応したつもりでしたが、生徒側の受け止めはどうだったのでしょう?
一方向の関係が強すぎると学校も職場も楽しくありません。
家庭でも、大人が教える側、子供が教わる側と固定されると息苦しいですね。
昔は圧倒的な知識と経験を持った大人が、教える側として鎮座していても問題はなかったのでしょう。
しかし、今は、スマホの中に何でも入っています。
大人の知らないバーチャルの世界では、子供の方が自由に遊び回っています。
互いの知見を出し合って社会生活を送りたいものです。
というのも、今、私が入っている勉強会には、教え子も私と同じ立場で参加しており、とても楽しいのです。
致知の勉強会から
月に一度の勉強会では、「致知」の3つのトピックスから1つを選び、互いの考えを消化したり、評価したりします。
参加する人は年齢も性別もバラバラ。
唯一の共通点は、自己成長に貪欲であり、他の価値観も吸収しようとする柔軟さがあるところです。
そこに、教え子も参加しているのです。
有機農業で頑張っている彼は、ローカルスーパーマルイチの会長に可愛がられており、この勉強会に行き着いたのです。
単に農業を極めるだけなら、知識や技術の勉強会だけでよさそうです。
しかし、人間学を学ぶ勉強会では、「何のために」を学びますから、野菜づくりの目的がぶれないのでしょう。
話を聞くと、学ばされることがたくさんあり、目から鱗が落ちていきます。
同じ価値観や同じ職場の人ではない、しかも年齢も違う人の経験や考え方は至宝です。
そこで、強く思うのです。
学びは双方向だと。
虚心坦懐で、自分の考えにこだわらず、何でも試すことが、自分の可能性を広げることになるのだと。
かつての教え子は、今の私の先生であり、私が今や教え子です。
こういった関係を大切にし、自分を豊かにしていきたいものです。
学校では、先生が絶対知として君臨し、社会の変化に無関心で、平気で現状維持を主張する先生がいます。
残念なことですし、ある意味罪深いとも思います。
退職し、立場的にはフリーになりましたが、何らかの働きかけができればと考えています。
キーワードは、「ともに学ぶ」ですね。
次回をお楽しみに。
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