大人の責任

大人の責任(43) 父として

息子が18歳の誕生日を迎えました。

受験生でもある彼は、混迷の中にいます。

見えない未来を拓くためにできることは、今できることを愚直にやることしかありません。

しかも、粘り強く。

なんでもそうですが、努力の成果はすぐには現れません。

失敗ばかりが続きます。

自転車でも、ヨーヨーでも。

できるようになって仕舞えば、いろんなバリエーションも可能になのるのに、、、。

多くの人は、できるようになるまでの我慢比べに負けてしまいます。

誰との我慢比べ?

それは自分自身とのです。

親としてはなんとか助けてあげたいけれど、助けることは力を奪うことですから、難しいものです。

フランスの思想家ルソーが言っています。

子供をダメにする確実な方法は、子供の望むものを全て与えることだと。

苦しい、足りない状況を解決できなければ、生きていく力など育つはずがないのです。

側から見ている私は、別のことも思っています。

高校を卒業した後、息子と食事をする回数は100回あるだろうか?

バトンタッチ

子供に手がかかる時分は、早く大きくなってくれないかと思うこともありました。

しかし、もうすぐ巣立ちの時を迎える今、反省もあるのです。

本当に親として、伝えるべきこと、しつけるべきことを全うできただろうかと。

東洋思想研究家の田口佳史氏が語る孟子の教えの「五輪」の一つ、「父子親あり」に未だ至っていない。

親愛の情の基本は、父は「慈」、息子は「孝」

「慈」なくて、「孝」があるはずもない。

「慈」は、見返りなど求めない。

 

私が与えた「慈」を、息子は次の世代に渡せばいい。

良いバトンタッチにつながればいいなと息子が成人を迎えた今、思うのでした。

 

今回はここまでにします。

次回をお楽しみに。

 

前回はこちら

大人の責任(42) 利より義学校教育や子育てにおいて、情緒と知識はどちらを優先すべきでしょうか? 子供の将来を考えると、早いうちに塾に入れたり、通信教材を取り...

 

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