高校や大学に行くことがゴールになってしまうと、受験に必要のない科目の授業が無駄に思えます。
しかし、本当に、音楽や美術、工作、家庭、体育を軽視して良いのでしょうか。
人生を豊かにするもの
大人になって、友達から
「俺は、今でも数学が得意で、入試問題が解けるんだぞ。」
と言われても、「フーン・・・。すごいね」と生返事をして終わりますが、
「俺、サックスができるよ。」とか
「手の込んだ料理も楽しく作れるわ。」
とか言われたら、本当に凄いと思いますし、尊敬もします。
他にも、上手な絵が描けたり、パッチワークができたり、生涯体育を楽しんでいる姿は、豊かであるし、魅力的です。
国数英社理のことを「主要教科」という人もいますが、本当にそうでしょうか。
受験科目にありませんが、長い人生を考えると、美術や音楽、家庭や体育を蔑(ないがし)ろにするのは、あまりにももったいない考え方です。
目標をクリアするものだけを頑張れば良いという価値観の刷り込みになっている気がします。
日本の大学生は、最小限の努力で目標をぎりぎりでもいいのでクリアすればよいと考えることが多いようです。
結果的に、卒業できるギリギリの単位しか取らない傾向にあることからも分かります。
大学生は、たっぷり時間があるのですから卒業単位を上回るくらい勉強をすれば良いのですが、欧米に比べると、必要最低限の単位取得で卒業する割合が圧倒的に高いのです。
となると、大学に入るのは勉強するためではなく、卒業するためになってしまいます。
また、親の脛をかじりながら、コンビニの高いおにぎりを買ったりもします。
自分で作れば、電気代、材料費込みで30円以内でできるのにです。
長い人生、本当に受験科目だけを頑張ることがよいとは思えません。
中国の故事に、
「大きな魚を捕らえるためには、その魚サイズの網の大きさでは難しい。魚の何倍もの大きさの網を用意しなければ、決して捕まえられない」
といったものがあったと思います。
人生も、必要最小限から飛び出た部分に意味があるはずです。
アップルの創業者スティーブ・ジョブスは、大学を辞めてしばらく通った専攻外のカリグラフィー(文字のレタリング)に魅せられ、大きく飛躍しました。
人生は長い。
網は大きいものを準備させたいものです。
そして、私自身も破れた網を繕ったり、広げたりしながら、豊かに生きたいと願っています。
今日はここまでにします。
続きはまた次回。
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