大人の責任

大人の責任(25) 「らしさ」という圧力

「ブラック校則」という言葉が、いつの間にか市民権を得ました。

昔は、ルールは守るものであり、疑義を挟むと生意気だと言われました。

そう言えば、守るものに徹した藩が昔ありました。

明治維新で敗れた会津藩です。

会津藩の子供は10歳になるまでは「什(じゅう)」と言われる十人前後の組に分けられます。

そこで行われる教育にはルールがあり、

年長者の言うことは素直に聞く

年長者にお辞儀をする

卑怯なことはしてはいけない

などのルールがいくつか並べられており、最後には「ならぬことははならぬ」と締め括られれいます。

鉄の結束を誇った東北武士の心はここで育ったのでしょうが、ある面融通が効かず時代から取り残されました。

先日、生徒と校則をみなしたのですが、実は曖昧な「中学生らしさ」が幅を利かせていることがわかりました。

曖昧な「らしさ」

髪型にしても、態度にしても、「中学生らしさ」が求められており、それでルールが作られています。

しかし、中学生らしさは、金太郎飴のように等質なのでしょうか?

かつて、第2次産業がこの国を牽引していたときは、素直に決まりを守って工場で働く人が求められていました。

等質な人間づくりが社会からも期待されていました。

何しろ製造業は国のGDPの6割以上を生み出していたのですから。

しかし、今6割を生み出しているのは、第3次産業です

発想や独自性で勝負する分野です。

それなのに、曖昧な「らしさ」で縛るのは乱暴でもあるし、未来を生きる力を奪うかもしれません。

反対に、大人らしいのは、どういう状態でしょう

「大人(おとな)しい」とは、静かで黙っている状態。

物言わぬ昔の日本人が想像できます。

今や、そうではありません。

今、中学生は全国に300万人います。

その子たちに、「中学生らしくしなさい。」

と同じを求めることが正しいとは思えません。

 

しかも、指導する先生が思い描く「らしさ」がそれぞれ違っていて、違いを無くして揃えるために、昔のものをそのまま使っているとしたら、罪深い。

「らしさ」は周りに迷惑をかけずに、自分を表現すれば良いはずです。

社会をしばる「らしさ」

実は、「らしさ」に私も縛られています。

父親らしさ

校長らしさ

男らしさ

本来答えは一つではないはずなのに、小さな入れ物に閉じ込めるように「らしさ」が要求されます。

皆と同じであることが正解なら、私は私である必要がありません。

良いところも悪いところも含めて私であり、それが魅力であり、欠点でもあります。

私が私であることに価値があるのです。

英語でユニークという単語があります。

一つだからユニークなのです。

 

ですから、私の学校では、生徒にユニークを許すことに取り組んでいます。

もちろん外見だけで中身が空っぽの「らしさ」は肯定しませんが。

 

今回なお話しはここまで

次回をお楽しみに

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