昔は、教員養成系の大学を卒業し、学校の先生になるケースがほとんどでした。
しかし最近は、他学部の出身者や他職業の経験者も増えてきました。
この傾向は、とても良いことだと思っています。
個性の尊重と言いながら、同傾向の担任にしか出会えなかったら、子どもは多様な価値観に触れられなかったり、同じ物差しでしか評価されなかったりするからです。
ところが、現場で起きているのは教職員不足。
メンタルダウンの先生の跡を埋める講師の先生が圧倒的に不足しているのです。
退職した私にも、小学校の理科専科の話や中学校の話が来ています。
(中学校は教科免許が違っていても臨時免許をとって働いてほしいという話です。)
どうして、こんなにも教職員不足が慢性化・深刻化しているのでしょうか?
日本全国で、子供の数は明らかに減っており、空き教室も増えています。
ですから教職員が余りそうですが、教員になることの魅力がなくなってきたのでしょう。
地方において、教職員の給与などの待遇は、悪くはありません。
しかし、給与以上の責任に押し潰されそうな社会からの圧力は年々強まっています。
先生だって、全ての子供との相性がよいはずはありません。
実は、これは実感ではなく、昨年子ども対象に実施したアンケート結果が示していたのです。
よい先生とは
学力を上げ、活気のある学級を作る先生は、子どもに選ばれる存在に違いないと思っていました。
ある程度の緊張感とリズムの良さもあった先生が、絶対的人気を持っているはずだと思っていたのです。
ところが、小学校の5、6年生対象に実施した「学びやすい教科のアンケート」結果はまるで違っていました。
完全に教科担任制を実施していましたから、実質どの先生の授業がよいかという調査です。
ある程度、教科間で差が出るという私の予想は、大外れ。
なんと結果は、ほぼ均等でした。
- ある程度のスピード感での授業
- ゆっくりと丁寧な授業
- けっこう寄り道はするけど面白い授業
など、授業タイプは様々です。
しかし、特定のタイプの授業が、全て子どもとの相性が完全に一位することはありませんでした
ある程度のヒントをもとに自分でどんどん進みたい子どももいれば、そうでない子どももいます。
反対に、丁寧な授業を退屈と感じる子もいれば、それが有難いと思う子どももいました。
ということは、もし相性が合わない先生と、一日中一緒にいる学級担任制では、心が折れてしまいます。
それは、先生側も同じことです。
綺麗事ではなく、人間には合う合わないがあります。
もし合わない相性を、先生も子どもも我慢しながら丸一日を過ごさなければならなかったら、心の余裕がなくなります。
そこを管理職や保護者に責められたら、先生も子どもも不幸なことです。
ですから、思春期の入口の小学校高学年では教科担任制を是非進めたいのです。
小学校の制度が始まった昔に比べて心も体も成長が進んでいるのに、従来型に固執していては、先生不足も不登校児童生徒の問題も解決できないのではないでしょうか?
今回は、ここまでにします。
次回をお楽しみに。
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