最近、円が安くなって、海外に出稼ぎに行く若者が増えているようです。
オーストラリアでの農作物の収穫、アメリカの寿司職人、トラックの運転手。
どの給料も、日本の平均給与の倍以上ですから、魅力を感じるのも当然です。
基本的に全ての仕事には価値があり、必須なものですが、少し心配なことがあります。
それは、勤勉性と誠実性のある日本人が買い叩かれている気がするからです。
現在の日本のコンビニでも多くの外国人労働者を見かけますが、今度は日本人が「外国人労働者」かもしれません。
ですから、国を富ませることを考えなければ将来が先細ります。
まずは、人材育成。
変えよう!小学校の仕組み
以前のブログでも日米の小学校の担任の在り方の違いを指摘しましたが、再度触れます。
中学校の教科担任制の良さを生かし、一方では小学校の学年担任制を生かすことが大切です。
私は、小学校1年生から4年生はできるだけ、毎年同じ学年を指導させる人事配置をしました。
保育園や幼稚園から入学してくる1年生を相手にする先生は、特別なスキルが必要です。
まだ日本語が完成していないし、自分の内面を表現できない。
母親との分離不安もある。
3年生や4年生は、ずいぶん自分に自信を持ってきますが、グループの作り方に課題があり、友達関係がすぐに怪しくなります。
こういった各学年の育ちを毎年つぶさに見てこそ教師のスキルも上がるのに、久しぶりの1年生担任や3年生担任が心もとないのは仕方ありません。
また、小学校の高学年は、教科担任制を導入すべきです。
小中一貫教育は、接続部分の仕組みを同じにしてこそ効果が上がります。
仕組みが全く違うのに小中一貫教育をやっていますと言っている学校は、上滑りな気がします。
厳しい言い方をすれば小中一貫ごっこです。
こういった改革をして、「決まったことを教える授業」から「子どもが自ら問いを作り、学んでいく授業」へと転換してこそ、次の世の中を生き抜く人材が育つのではないでしょうか?
今までの仕組みを疑う
宿題って、必要でしょうか?
昔、宿題を学校でやると叱られました。
「宿題は、家でやるものだ。どうして、そんなずるいことをするのか?」
必要なのは時間の有効活用。
学校の隙間時間でやれる子は褒めてあげれば良いはずです。
使える時間があるのに、ダラダラと無駄に過ごすことを教える方がオカシイです。
こんな当たり前のことさえ変えきれないと、子どもたちは自分の頭で考えなくなります。
これは、いけない。
日本がますます安くなる。
真似のできない勤勉性と誠実性を持つ国民性を活かし、未知を拓く挑戦や失敗を賞賛する文化を小学校の段階から作りたいものです。
今回はここまでにします。
次回をお楽しみに
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