天気さえ良ければ、海で遊ぼうと張り切っていた毎日でした。
しかし、天気が良くても海に入れない日もあります。
台風の影響で波が高くなっては、さすがに近づけません。
ボディーサーフィンをするには、ある程度波が高い方が面白いのですが、台風が近い時の波は沖で崩れ、普段では考えられない大きさの白波が浜を洗います。
音は、低い「ゴー」という潮鳴りです。
子供の作文で、波が倒れる様を「ザブンザブン」と表現することがありますが、この波は凪いでいる静かな浜辺です。
台風前の海は、ずっと低い音で唸っている感じですから。
そんな海に到着して、海に入ることを諦めなければならない時は、タンポリが魅力の場所でした。
タンポリ?
宮崎では潮溜まりのことをタンポリと表現します。
今ではこの表現を知っている子供はいないかもしれませんが、、、。
このタンポリは、岩場にできた畳一畳くらいのものから、学校のプールくらいのものまで海岸線に点在します。
満潮の時は海水がどっと入ってきますが、干潮の時は完全に海から独立します。
多様な生き物たちが、この干満を利用しながら、敵から逃れたり、小さい時期を過ごしたりします。
ですから、そこは自然の水族館です。
小さな目の網を使えば熱帯魚の子供たちを捕まえられますし、上手に手で追い込めば小エビなどは大量に採れます。
また、色とりどりのイソギンチャクや結構大きな魚も隠れていて飽きません。
大きな魚は俊敏で、子供の知恵と技術で狙っても、こちらが全く敵いません。
しかし、いろいろ試しながら挑んでいるとあっという間に時間が過ぎるのです。
そして、いよいよ満潮の時が近づきます。
閉ざされていた魚たちの逃げ道が開いてしまう時間です。
そうなってしまうと子供の敵う相手ではありません。
しかも、荒れた海の満潮は危険極まりないですから、ゲームオーバーです。
海から学んだもの
月の引力の影響で潮の干満が起こるのは学校で習いましたが、干満の時期が毎日ずれていくのは経験で分かりました。
良い波を捉えて遊びたいのですから、良い波の時間帯が毎日ずれていくの知らないと効率が悪いからです。
潮溜まりでの遊びは、海の豊かさとの対面です。
魚もタコもエビもみんなが、小さな怪獣だった私たちの相手をしてくれました。
リアルな生き物には興味があったけれど、学校のテストのための生物は全く興味が湧かなかったのは、必然だったかもしれません。
結局の残っている今の記憶や知識は与えられたものではなく遊びや興味から自分で身につけたものが多い気がします。
そういえば、明治初期は多くの若者がヨーロッパへ「遊学」しました。
話題の渋沢栄一もそうです。
今は、「留学」。
さまざまな世界を捉えるには、遊びが必要ではないでしょうか?
今回はここまでにします。
次回をお楽しみに。
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