校長職を退職し、無色透明になって1週間が経ちました。
退職後は大阪で姪の結婚式に参加したり、新幹線で東京に行き息子と一杯やりました。
自由な時間、締切りのない時間を満喫しました。
ちょうど、国立新美術館ではメトロポリタン美術館展が開催されており、世界の至宝をゆっくり味わうこともできました。
作品の時代背景や作家のエピソードは、佐々木蔵之介の音声ガイドを利用しました。
知っているつもりでいたモネの睡蓮は、年齢を重ねるごとに白内障が進んだ結果、色使いや輪郭がはっきりしなくなったのだと聞いて、びっくり。
国立西洋美術館の睡蓮とはまた違っていて、今の自分を重ねました。
楕円の構図が有名なスペインのエルグレコも、その特徴が出ていない時期の作品であり、レンブラントも、ルノアールもパトロンを意識している気がしました。
幾つになっても新たな発見はあるものです。
それにしても、コロナ禍の平日にもかかわらず、たくさんの入場者。
日本は文化の国です。
さて、文化の国といえば、科学で解明できないもの。
これまた、文化です。
something great
科学が何でも解明し、分からないことが減ってきていますが、分からないけれど畏怖するものは必要です。
アメリカ大統領は、就任式の時に聖書に手を乗せ、職責を果たすことを誓います。
聖書に書かれてあることは非科学的なものもありますが、それを否定しては成り立ちません。
日本の総理大臣であっても天皇陛下に任命されます。
万世一系であるかどうかを疑っていては成り立ちません。
目には見えないけれど、人智を超えたものに対して人間は謙虚であり、誠実であることが大切なのです。
全く怖いものなしで育つことは危険。
説明できないけれど、背筋が伸びる威厳にも出合わせたいのです。
知識と情緒では、情緒を先に育てなければなりません。
知識が先だと、「法律さえ破らなければOK」という判断基準を得てしまいます。
ただ、立場にあぐらをかいて、
「畏怖しろ」
といった校長や先生には早々と退散してもらわないといけないですけどね。
今、世界は混迷の時期。
ぜひ、次のリーダーは、情報分析能力に長け、人知を超えたものを畏怖できる人になってほしいものです。
今回はここまでにします。
次回をお楽しみに。
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