前回の山間へき地の子の活躍は、今でも人に紹介するたびに声が詰まります。
そして、そんな子どもは市内にもいたのです。
それは、私が同市内の学校の転任が決まった3月末の出来事です。
学校の教員の異動は、新聞発表よりも早く本人には伝えられます。
そうでなければ、引越し業者の手配や整理などができないからです。
ですからお世話になった方々には内々に伝えて、送迎会なども行われます。
そんな年度末。
一人の教え子か、私の勤める小学校に訪ねてきました。
素敵な提案
高校生になった彼は、学校に訪ねてきて
「先生、この学校から他の学校に行くの?」
と聞いてくれました。
「そうなるみたいだね。」
と答えると、
「先生、俺らがお別れ会をしてあげるよ」
と提案してくれました。
小学校を卒業して4、5年経った彼らが、小学校時代の担任のお別れ会をするという初めての出来事です。
しかも、家庭科室と体育館を貸して欲しいとも言っています。
何をするのかと尋ねると
「お別れ会の料理を作って会食をし、体育館でセレモニーをする計画です。」
と何やら同級生との打ち合わせも終わっている感じで答えてくれました。
「有難う、嬉しいなあ」と答えたものの、当時の校長は苦手な女性校長であり、学校施設を貸してくれるか心配でした。
しかし、せっかくの教え子からの尊い提案です。
どうにか、その難しい校長を説得し、家庭科室と体育館を借り、卒業生にOKと伝えました。
大騒ぎの家庭科室
私のお別れのセレモニーをするといってくれた教え子の面々が学校に集まってきました。
しかも、食材の入った重そうなビニール袋をいくつも持ってです。
家庭科室では、簡単なクレープやお好み焼きなど次々に出来上がり、皆のテンションも上がっていきました。
まるで、同窓会。
もしかしたら、皆で集まることが第1の目的で、私は出汁(だし)に使われたのかも知れません。
それくらいの盛り上がりようです。
あまりの声の大きさに、心配した校長が目を釣り上げて、私に大丈夫かと聞いてきます。
私は、大丈夫なはずはないけれど
「子どもたちが素晴らしいです。全然大丈夫です。」
と全く説得力のないその場しのぎの説明をして、校長を校長室に帰らせました。
しばらくして、出来上がった料理を皆で食べ、ほんの数年前の昔話に花を咲かせました。
私を手こずらせたあの子達が、こんなになったのかと感慨もひとしおです。
しかも、料理を食べた後、家庭科室は使う前よりもピカピカに磨かれました。
校長の心配は何だったのでしょうね。
そして、いよいよ、体育館でのセレモニーに入って行きました。
3月の末、誰もない学校に、熱い涙が流れます。
最高にプレゼントでした。
それは、また次回に。
今回はここまでにします。
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