以前、私は脳腫瘍を克服する過程で、プロの仕事に必要なものは、優しさではなく技術だと気づいたことを紹介しました。
人は良いけれど、勉強不足でしかも不器用な医者に、自分の手刃医にはなって欲しくないとも言いました。
高額な請求は困りますが、ブラックジャックがプロだと思います。
「鬼手仏心」という言葉があります。
心の中は仏の心ですが、鬼(プロ)の手で業を成す意味です。
私たちは、情治国家ではなく法治国家に生きています。
組織での働きは何となくで評価しがちですが、本当は鬼の手を正しく評価しなければ、とてもプロの仕事とは言えません。
身につけるのが大変だから価値がある
人生が伸びて、50年くらいは働けそうです。
しかし、会社の寿命は30年程度です。
誰だって、職を変える時代に突入しました。
なかなか仕事が続かない若者の言い分が
- 上達しないから
- 先輩になかなか追いつけないから
というものがあります。
組織としては、研修や実技指導で、使える大人にしているのに、この理由は勘違いをしています。
大体、高校や大学を卒業したばかりで、給与が発生するのは、会社としては投資している最中です。
給料の分の働きは、まだまだできていません。
もし、ギャラが発生するなら簡単な作業系でしょう。
そもそも、すぐに身につけられる仕事なら、誰でもプロになれます。
なかなか身につかない仕事だからこそ、価値のある鬼の手なのです。
一流と素人の違い
ところで、今年(2021年)は夏の甲子園大会が開催されました。
関係者だけの観戦を認めたものですが、人のつながりが薄れる中、「ふるさと」を意識することは、今年も難しかったようです。
甲子園球場のアルプススタンドでも、電化製品売り場での特設会場でも、見知らぬもの同士が、「ふるさとが同じ」と言うだけで、ともに声をあげて応援したり、泣いたりするのですから、甲子園には特別な意味があるのでしょう。
私は若い頃、県外出張に行くと、ついでに甲子園出場の常連校やサッカーの全国選手権出場常連校の練習を見に行くことを楽しみにしていました。
各地域のスター選手を集めただけでは強いチームが出来ないことが、練習を見れば一目で分かるからです。
弱いチームほど、離合集散が遅く、練習が非効率です。
野球を例にすると、列を作ってノックを待っているイメージです。
待ちが多く個別の課題にも対応していない練習です。
強いチームは
- ノックを生かして内野守備の連携を確認しているグループ
- マシンでの打ち込みのグループ
- 練習後の反省に生かそうと撮影をしているマネージャー
など、様々な練習が「フルーツバスケットゲーム」のように、淡々と進んでいきます。
しかも、移動もダッシュ。
走るだけの練習を用意するのではなく、小さな隙間にそれを入れる徹底ぶりです。
どの監督さんも愛情はあるのでしょうが、技術が伴っていないと、練習内容にこんなに格差が生まれてきます。
甲子園は指導技術の激突の場なのかもしれません。
先日、あるテレビ番組で「料理は愛情より、技術」と一流シェフが言っていました。
どれだけ愛情を込めたとしても、技術がなければ美味しくはならないのだそうです。
私は、妙に納得しました。
以前、遠くに住んでいる息子がうちに帰ってきたので、美味しいものでも作ってやろうとクックパッド先生に従って鶏の唐揚げを作りました。
レシピ通り、二度揚げを試み、外はカリカリ、中はジュウシーとなるはずです。
揚げる時間も、戻すタイミングもレシピ通り。
うまくいかないはずがありません・・・・。
結果は、少し「生」でした。もう少し揚げ時間が必要だったようです。
私の愛情は、それはそれはたっぷりです。
しかし、味は技術が決めたのです。
そこで自分の仕事も見つめ直したのです。
「本当に鬼の手の仕事をしているのか?」と。
足らざるを知りました。
今回はここまでにします。
次回をお楽しみに。
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