鼻の癌について

癌を生きる(30) 発見

これまでの大きな手術で、一番頭を悩ませていたのは導尿でした。

普通、動けない状態でベッドにいる患者は、おしっこをしにトイレに行けないので、尿管に管を繋がれます。

私は、これまでの経験から、絶対にこれが無理でした。

前回も「気にしなくても尿意があったら、おしっこをしていいですよ。管を通してパックに溜まりますから。」

と言われ、チャレンジしましたが、おしっこは出ず、激痛だけが増す状態でした。

そのうちに膀胱はパンパンに膨れ、冷や汗まで出てきました。

そこで、今回はこの経験を医師に伝えたところ、尿瓶(しびん)で対処することになりました。

うまくいかない

尿瓶になったのですから、痛さの心配はありません。

いつでもOKの状態です。

ただ、ベッドの上の私の両手は、脈拍計、血圧計、点滴などに繋がれています。

起きてはいけないとも言われていますから、横になったまま、コード類を抜かずにベッド横の尿瓶を取って、用をたさなければなりません。

コード類の長さは、絶妙に私の行動を制限し、尿瓶に手が届きそうで届きません。

目論見(もくろみ)が崩れました。

コードを抜くわけにもいかないので、微妙に体制を変えながら尿瓶に手を伸ばします。

神様は意地悪です。

あと5cm届きません。

しょうがないので、ベッド横の柵の隙間から手を入れて尿瓶を掴みました。

しかし、柵の隙間は狭くて尿瓶を通すことはできません。

仕方なく作戦変更です。

ベッド横のモニターの位置を頭に近いところから、体に近いところにすることを思いつきました。

コードが抜けないように、ゴロゴロとモニターを移動させました。

手を動かす範囲は広がり、やっと尿瓶をゲットしました。

恥ずかしさの壁

私は、今年60歳。

白髪や皺も増え、男の色気はありません。

しかし、若い看護師にお世話をしてもらうのは恥ずかしいです。

ですから、尿瓶をゲットしたのはいいけれど、いつ用をたすかが問題です。

何しろ、コロナのおかげで、病室のドアは全開です。

絶えず、看護師や検査技師、掃除の方々の足音がしています。

ドアが閉まっていれば、トントンとノックされて入ってくるので隠す時間もあります。

しかしドアが全開では、カーテン越しにいきなり声をかけられます。

と言うわけで今度は、廊下の足音をひたすら分析します。

  • 「これは、足音が不規則だから患者さんだな。」
  • 「これは、ビニール袋の音がするから、掃除のおばさんだな。」
  • 「この微かな足音は、看護師だな。しかも、若い方だな。」

できるだけ音を分析し、自分の部屋に入るには時間がかかると判断して尿瓶を使いました。

結果、その最中に入ってこられることはありませんでした。

作戦成功です。

 

恥ずかしさは、いったい何歳まで続くのでしょうか?

自分でなんとかできるうちは恥ずかしさを回避することができますが、どうしようもなくなった時、人はどう自分を慰めるのでしょうか?

 

こう言った生理現象は、AI機能搭載のロボットに手伝って欲しいものです。

つまり、体の自由が効かなくなった時、トイレや風呂の介助は感情を持たないロボットに手伝ってもらいたい。

あるいは自分で操作したいのです。

きれいになった体で医師や看護師とはコミニュケーションをしたいのです。

それが、人としての尊厳を守る気がします。

いくら歳を取っていてもです。

 

そんな時代が来ないかな。

 

今回はここまでにします。

次回をお楽しみに。

次回はこちらから

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