時期外れになりますが、4月はじめに書きかけたブログを完成させ、アップしますね。
春の桜の時期は、いろんな人たちが新たなスタートラインから次の一歩を踏み出します。
慣れない制服やスーツなどに身を包む姿は、はっきりって似合っていません。
しかし、その似合っていないのが、彼らの可能性を感じさせます。
若者が持っている残りの人生の圧倒的な時間が眩しくなります。
とは言うものの、ソファーで寝息を立てて寝ている18歳の息子を見ながら寂しくなりました。
自分の手元にいる時間は、あと1日。
明後日になれば大学進学で、いよいよ旅立ちます。
子育てなんてあっという間。
手のかかる小さな時代から思春期の時代まで、時が駆け抜けます。
子育ての最中は、自分の時間が持てずに忙しさを感じますが、手元を離れるとなると成長の嬉しさを上回る喪失感があります。
元来、人間の想いは子どもへと向うもの
親を想う回数よりも子を思う回数の方が何倍も勝ります。
子育ては親育て
子どもがいれば、いろんなことが制限されたり、我慢を強いられたりもします。
好きなゴルフも、行きたい飲み会も、諦めたことが何度もあります。
その時は不本意な気持ちでしたが、いざ全く制限のない自由となると、逆に虚しくなるのですから不思議なものです。
ご先祖様からもらった目に見えないアイデンティティを、どれだけ渡すことができたかは不明。
もしかしたら、逆に我が子からもらっていたのかもしれません。
「子育ては、親育て」
とは言い得て妙の表現です。
人生の役割を終えた気分です。
これからの役割はなんだろうか?
単に長生きすることが目標の人生は味気ない。
今後は、故郷の子どもたちの学ぶ力を伸ばし、良い未来を手に入れられるようなお手伝いをします。
ということで、今後の発信テーマは、学力の伸ばし方特集で進めますね。