鼻の癌について

癌を生きる(29) 手術

令和3年10月20日が手術の日でした。

手術の目的は、鼻腔内の癒着をとることと、曲がっている鼻中隔を矯正するために邪魔な骨を除去することです。

これまでの不便な鼻詰まりの日々から解放されると想うと、期待も高まります。

全身麻酔ですから、術中の痛みも心配ありません。

前日の午後6時から絶食をし、午後2時40分から手術に備えました。

朝8時には紙製の術着にも着替え、準備万端です。

しかし、人間とは弱いものです。

手術開始の時刻が近づくと、緊張してきました。

しかも、前ふたつの手術が早めに終わり、私の手術は早まったのです。

あたふたと点滴をゴロゴロ押しながら、手術室に歩いて行きました。

手術室に入ると、昔見たことのある殺風景な風景が広がっていました。

手術

ベッドに上げられると、紙の術着を要領よく切り離され、いろんな管が繋がれました。

酸素マスクをした時に、「大丈夫ですか?」の声が聞こえました。

記憶はそこで終わりです。

約2時間後に、「終わりましたよ。部屋に帰りましょう。」

と言われ、ベッドに乗せられたまま部屋に帰りました。

麻酔のせいか思考が整理できず、手術のせいで痛みがあります。

脈拍とともに疼(うず)く痛みです。

「痛ければ、痛み止めを出しますからね。」

の声かけが嬉しかったです。

しかし、痛み止めは効かず、次の日の朝まで一睡もできませんでした。

お腹も空いています。

なにしろ、絶食時間は36時間にもなりました。

感謝

朝になり、手刀医が、手術の説明をしてくれました。

その時に除去した骨も見せてくれました。

結構な大きさで、これだけ大きくて曲がった骨があり、癒着もしていたのなら息ができないのは当然だと思いました。

地元の医師には、内視鏡検査でアレルギーと言われ、薬も処方してもらいましたが、結果的には違っていました。

そのために、癒着状態を一月以上続け、苦しんでもいました。

医師の見立て次第で、こんなにも違うのか驚くばかりです。

今回の県病院受診は、癌治療の経過を見るためでしたが、結果的に別のことを見つけてくれて助かりました。

しかし、地元の医師に文句を言っても仕方ないのかもしれません。

 

人は生きてきたように死んでいくのだそうです。

日頃から不平不満ばかりを言ってきた人は不平不満を言いながら死んでいく。

感謝の言葉を繰り返してきた人は、最後も感謝の言葉とともに旅立っていくそうです。

 

私の癌を見つけてくれたのは地元の医師ですし、それが結果的に今回の手術にも繋がったわけですから。

 

術後1週間で抜糸します。

久しぶりに鼻が通る日を感謝しながら待ちます。

 

今回はここまでにします。

次回をお楽しみに。

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