幕末から明治維新にかけて、一気に頭角を表したのは長州藩です。
しかし、この長州藩(毛利)は、明治から遡ること260年前、関ヶ原の戦いで敗れ、狭い領地に押し込められました。
その際、120万石もあった領地が37万石に減らされ、多くの家臣を養わねければならなかったのですから、大変なことです。
(実録は50万石で、幕府に睨まれないように7割の石高で報告し、それを誤魔化し続けた江戸時代でした。)
会社で言えば、売り上げが3分1に落ちたのに社員の数が変わらないピンチを迎えたわけです。
結果的に、山口の萩という今でも便利な場所とは言えない場所を拠点にし、借金がかさみ、今で言えば不良債権まみれでいつ倒産してもおかしくない状態になりました。
それを、V字回復させたのは、港の権益を握ったことと、特産品を多く作り出したことによります。
しかし、資金だけで幕府に対抗できるはずはありません。
そこに学問の力があったのです。
全国有数の寺子屋の数
武士や庶民が学べる「郷校」の数は全国1位、寺子屋の数は全国2位でした。
つまり、学ぶ集団だったことが、大きな資源でした。
だから、一旦は尊王攘夷で突き進んで失敗はしましたが、多くの人材が学問で育っていたのが幸いし、リベンジできたのです。
この時の学び方が、今の時代でも役に立つと思っています。
等質の学級ではなく、異年齢が一緒に学んでいるのがポイントです。
この学びは、年長者が教えることを課されます。
すると、教えられる年少者よりも教える側の理解が深まります。
今は、誰に教えてもらうかばかりに焦点が当たっていますが、誰に教えるかも大切な視点です。
そこで大切なのは、学ぶ側の記録の仕方(メモの取り方)です。
黒板のない時代、紙が貴重な時代ですから、選んでメモをしていたはずです。
メモを取る力
今、企業採用時に驚かれるのが、新卒学生の記録するスキルのなさだそうです。
小学校1年生から、毎日授業を何時間も受けて、板書をノートしてきた子ども達に、メモする力がないとは恥ずかしい限りです。
もしかしたら、子ども達にとっては、ノートをとる目的が、要点を整理するためではなく、何も考えずに素早く黒板のものを写すことになっていたのかもしれません。
写すだけなら、そのほとんどは教科書にもっと詳しく書かれていますから、苦労の割には役に立たないものになってしまいます。
黒板を写すことがメモの目的になっていたら、なんの役にも立ちません。
TV番組で、何も考えずに板書をノートに写したグループと先生の言葉や自分で大切と思うことを考えてノートしたグループに、予告なしのテストをした実験がありました。
結果は、前者の平均点は20点、後者は60点でした。
その差はなんと3倍です。前者は受け身で思考が成立せず、後者は前向きで思考が課されていますから、当然と言えば当然です。
話が、長州からメモまで飛んでしまいましたが、お子さんのノートはどうですか?
びっしり書かれていたとしても黒板の丸写しなら、残念な状態です。
しかし、考え方を変えれば伸び代たっぷりとも言えますね。
今回はここまでにします。
次回をお楽しみに。
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