大人の責任

大人の責任(7) 時間の感じ方

人間に平等に与えられているのは、時間です。

誰も1日の時間を延ばしたり、縮めたりすることはできません。

しかし、それは物理的なもの。

感じ方の違いを理解して、人を育てるとよいと考えています。

 

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反省の時間

子どもの頃の授業は、一斉授業で、何人かの優等生と先生で進める形でした。

私のように注意散漫な人間は、つまらなくてたまりませんでした。

ですから、その集中力のなさを、先生に叱られることも多かったのです。

しかも、繰り返しです。

「また、集中していない。」

「ちゃんと反省したのか」

 

そうです。

原因は、私が、すぐにケロッとしているからです。

こちらとしては、十分に反省し、大人しくしていて「ケロッ」としているつもりはないのですが、先生は許してくれません。

多分、先生は私を1〜2時間くらいは神妙にさせたかったのでしょう。

しかし、その当時の私にそんなことはできるはずがありません。

なぜなら上手に説明もできないし、原因も分かっていなかったからです。

それが分かったのは、大人になって人材育成に携わってからです。

時間の感じ方の違い

少年の私が、自分が大人しく反省していた時間を、自分では長く感じていたのは次の2つの理由からです。

子どもと大人の感じ方の違い

大人が勘違いしているのは、小学生の私の時計と大人の時計が同じだと思っていることです。

10歳に満たない私にとっての1年は、60歳の先生の2ヶ月に過ぎません。

人間は、自分の人生の長さを元にして時間を感じます。

つまり、人生の長さが6倍違えば、感じ方は6分の1になるのです。

ですから、小学生の私にとっては、ひと月後の遠足がなかなかやってきませんが、60歳の先生にとって、ひと月後なんてあっと言う間にやってきます。

そういうふうに時間の感じ方が違うからこそ、子どもとしては十分な時間神妙にしていたはずなのに、大人からすると反省しているが短いと感じるのです。

つまり、「ケロッと」しているように見えます。

大人が期待する時間の反省をするとすれば、子どもにとって数倍の時間の反省を強いることになるのです。

ですから、簡単に時間の話を年齢の違う人にはできません。

18歳の受験生に、1年の浪人くらいあっという間だと言う先生が54歳なら、受験生にとっては3年くらいに感じるはずだからです。

待つ時間と懸命な時間の違い

待つ時間は、長く感じます。

不思議なものです。

息を止めて2分過ぎるのを待つと大変長いのですが、懸命になっているとあっという間に時間が過ぎます。

人気の鰻屋さんに並んでも、本を読んでいたり、スマホで面白い動画を見ていると、あっという間に自分の順番がきます。

時間が過ぎないのはつまらない時。

ただ、待っている時。

なかなか終わらない授業時間は、先生の授業がつまらないからです。

全く興味がわかず、だらだらの授業をしながら

「集中しろ!」

「寝るな!」

は、教員の典型的な責任転嫁です。

懸命な時間を作ってやればいいのです。

「聞く」から「話す」、「教える」へ替えるのです。

聞くだけで覚えるのは5%

人に話せば40%

人に教えれば70%

非効率な上に、退屈な聞くだけの時間を、教える立場での時間に変えれば良いのです。

教わる立場は待つばっかりなのですが、教えるとなると懸命にならざるを得ませんからね。

 

大人は、こういった時間の感じ方を理解して、子どもを育みたいものです。

今回はここまでにします。

次回をお楽しみに。

 

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