人間に平等に与えられているのは、時間です。
誰も1日の時間を延ばしたり、縮めたりすることはできません。
しかし、それは物理的なもの。
感じ方の違いを理解して、人を育てるとよいと考えています。
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反省の時間
子どもの頃の授業は、一斉授業で、何人かの優等生と先生で進める形でした。
私のように注意散漫な人間は、つまらなくてたまりませんでした。
ですから、その集中力のなさを、先生に叱られることも多かったのです。
しかも、繰り返しです。
「また、集中していない。」
「ちゃんと反省したのか」
そうです。
原因は、私が、すぐにケロッとしているからです。
こちらとしては、十分に反省し、大人しくしていて「ケロッ」としているつもりはないのですが、先生は許してくれません。
多分、先生は私を1〜2時間くらいは神妙にさせたかったのでしょう。
しかし、その当時の私にそんなことはできるはずがありません。
なぜなら上手に説明もできないし、原因も分かっていなかったからです。
それが分かったのは、大人になって人材育成に携わってからです。
時間の感じ方の違い
少年の私が、自分が大人しく反省していた時間を、自分では長く感じていたのは次の2つの理由からです。
子どもと大人の感じ方の違い
大人が勘違いしているのは、小学生の私の時計と大人の時計が同じだと思っていることです。
10歳に満たない私にとっての1年は、60歳の先生の2ヶ月に過ぎません。
人間は、自分の人生の長さを元にして時間を感じます。
つまり、人生の長さが6倍違えば、感じ方は6分の1になるのです。
ですから、小学生の私にとっては、ひと月後の遠足がなかなかやってきませんが、60歳の先生にとって、ひと月後なんてあっと言う間にやってきます。
そういうふうに時間の感じ方が違うからこそ、子どもとしては十分な時間神妙にしていたはずなのに、大人からすると反省しているが短いと感じるのです。
つまり、「ケロッと」しているように見えます。
大人が期待する時間の反省をするとすれば、子どもにとって数倍の時間の反省を強いることになるのです。
ですから、簡単に時間の話を年齢の違う人にはできません。
18歳の受験生に、1年の浪人くらいあっという間だと言う先生が54歳なら、受験生にとっては3年くらいに感じるはずだからです。
待つ時間と懸命な時間の違い
待つ時間は、長く感じます。
不思議なものです。
息を止めて2分過ぎるのを待つと大変長いのですが、懸命になっているとあっという間に時間が過ぎます。
人気の鰻屋さんに並んでも、本を読んでいたり、スマホで面白い動画を見ていると、あっという間に自分の順番がきます。
時間が過ぎないのはつまらない時。
ただ、待っている時。
なかなか終わらない授業時間は、先生の授業がつまらないからです。
全く興味がわかず、だらだらの授業をしながら
「集中しろ!」
「寝るな!」
は、教員の典型的な責任転嫁です。
懸命な時間を作ってやればいいのです。
「聞く」から「話す」、「教える」へ替えるのです。
聞くだけで覚えるのは5%
人に話せば40%
人に教えれば70%
非効率な上に、退屈な聞くだけの時間を、教える立場での時間に変えれば良いのです。
教わる立場は待つばっかりなのですが、教えるとなると懸命にならざるを得ませんからね。
大人は、こういった時間の感じ方を理解して、子どもを育みたいものです。
今回はここまでにします。
次回をお楽しみに。
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