当初の治療計画によれば、あと数回で、治療を終えることができそうです。
毎日、単調ではあったけれども、いろいろなことを考えることができて、人生の作戦タイムを取ることができました。
やっぱり、事実をどう解釈するかが大切です。
心境の変化
当初は、ポジティブに乗り切ろうとだけ考えていました。
基本的に人間の能力や資質は変わらないだろうから、覚悟で戦うと決めたのです。
しかも、期間限定です。
あと、8ヶ月もすれば定年であり、社会的な役割も終わるから、それを全うすることを考えていたのです。
しかし、定年を境に、自分の体が変わる訳はないし、心が弱くなるわけはない。
仕組みの中で、区切りをつけられているだけだと気づきました。
人生100年と考えれば、働き始めた22歳から37年しかたっていません。
100歳まで41年あります。
つまり、人生の中腹にやっと辿り着いただけです。
世界中で寝たきり老人がいるのは、日本だけです。
理由は簡単で、働ける人材をリタイヤさせるからです。
健康で長生きしている人は例外なく、何らかの役割を持って働いています。
「癌」になったからと言って、定年で何もしない人生を目指すのは、死に急ぐようなものです。
やはり、誰かのお役に立ちたいと思うのです。
日本の社会福祉制度は、ずっと Youngs support Olds の考え方です。
そのため、少子高齢化に伴い、支える若者の人数から、騎馬戦型から肩車型になってしまうことが社会問題化しています。
周りを見れば、元気なシニアはいくらでもいるのに、この考え方で破綻するのは当たり前です。
だからこそ、元気なシニアをいかに活かすかが、大切だと思うのです。
もちろん、能力主義で。
「昔、◯◯会社の部長だった。」は論外です。
昔の自慢話ではなく、今できる力を評価してもらって生きていきたいと考えます。
元気なシニアが増えれば
All supports Olds
になり、寝たきり老人は減り、税収が増え、労働者一人あたりの社会保障費も減るといったいいことづくめが期待できます。
このことは、APSアジア太平洋大学の出口学長もその著書「還暦からの底力」で力説されています。
先進医療で救ってもらう命ですから、目的が、ただ治すだけではもったいないと思っているのです。
進むことが親孝行
私が中学生の頃、父の仕事はうまくいっていませんでした。
オイルショックをまともに受けて、小さな会社は破綻。
一家の収入は激減しました。
そんな中、父が、夜中にこっそり、私が寝ている2階の部屋に上がってきました。
何事かと思いましたが、そのまま寝たふりをしていると、下手くそな字で
「お前にも色々苦労をかけるが、頑張れよ。この金で何か欲しいものでも買いなさい。」
と書かれた紙切れが、お金とともに、ティッシュ(当時のちり紙)に包められ、枕元に置かれたのです。
その時、私は、父の心を思い、ただただ有難くて、涙が出ました。
そのことから、色々言い訳をせずに、前を向こうと決めたのです。
自分の息子にも、一番の親孝行は、
明日が来てほしいと思える今日を重ねる生き方
だと言っています。
どれだけ大きな企業に勤めて、収入があったとしても、毎日が苦しい生き方をするのは望みません。
生きていることが楽しく、ワクワクして前を向ける人生を送るよう、今も言っています。
そして、気づいたのです。
それは、私自身、現在進行形のはずだと。
両親は、この世にはいませんが、前を向くことを続けてみようと思っています。
今回はここまで。
次回をお楽しみに。
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