大人の責任

大人の責任(3) 失敗を糧に

最近、マスコミが政府や有名人の揚げ足取りばかりしていて、生き辛さを助長している気がします。

人間は、そもそも失敗をしながら成功にたどり着く生き物です。

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ニコニコの失敗

私は健康維持のために、ひたすら歩いています。

音楽を聴いて歩調をアップさせたり、政治や経済の解説を聞いてゆっくり歩いたりを繰り返しています。

この当然のような動作「歩く」を、人間の赤ん坊はどのように獲得したのでしょう?

我が子の時もそうでしたが、親のハラハラをよそに、乳幼児は、ヨタヨタ歩いては、倒れます。

立った状態から2歩進む時もあるし、5歩進む時もありますが、歩き始めの頃はすぐにバタっと倒れてしまいます。

親は、我が子が倒れても怪我をしないように部屋をさっと片付けて、歩く挑戦を見守ります。

乳幼児は、失敗を全く気にすることもありませんし、なんとか頑張ろうとします。

何度も失敗を繰り返しますが、悲壮感はありません。

ニコッと笑っていることさえあります。

バタッと倒れても、諦めません。

つまり、私たちは、何度も失敗して、できるようになることを当然と考えて人生を始めているのです。

 

言葉にしても同じ。

赤ん坊の喃語(なんご)も次第に意味と発音が結びつきます。

 

ところが、ある時期から、失敗が怖くなります。

人と比べた評価をされるようになるからです。

これは、子どものせいではありません。

大人(親)のせいです。

間違った物差し(メジャー)を渡してしまうからです。

生まれた時は、その子だけの成長を喜んでいたのに、ある時期から同級生と比べての優劣を突きつけれるからです。

 

例えば、のび太は、昨日の漢字5問テストで、2点だったけれど、今日は4点も取れたとします。

ところが、隣のしずかちゃんは今日も5点満点でした。

この時、のび太が昨日の自分と比べたなら、2倍も伸びていて、昨日の間違いを減らせていていい調子です。

ところが、比べる相手をしずかちゃんにすると、今日もできていないことになります。

失敗が許せなくなったり、恥ずかしくなったりもします。

 

誰か、同級生を気にして歩き始めた人はいるのでしょうか?

人と比べることを覚えると、人の成功もの喜べませんし、自分のできなさにやる気も失ってしまいます。

突き詰めていけば、人に優っていなければ評価されないとするなら、一番になる以外ありません。

辛い生き方です。

野球なら、甲子園大会優勝。

サッカーなら選手権大会優勝。

勉強なら、、、?

 

私は、仕事で文書を作成しますが、間違いだらけで、何度もやり直します。

上書き保存を繰り返して、最終形に辿り着きます。

 

人生も同じ。

いかに失敗して、それをやり直して上書き保存をするかです。

過去の自分が大したことはなくても、上書きをする努力をすれば、きっと、良い方向に回り始める。

 

記憶力に少し自信がなくなっている私ですが、これからもいろんな上書きをしていこうと思っています。

今回はここまでにします。

続きはまた次回。

 

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