最近、マスコミが政府や有名人の揚げ足取りばかりしていて、生き辛さを助長している気がします。
人間は、そもそも失敗をしながら成功にたどり着く生き物です。
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ニコニコの失敗
私は健康維持のために、ひたすら歩いています。
音楽を聴いて歩調をアップさせたり、政治や経済の解説を聞いてゆっくり歩いたりを繰り返しています。
この当然のような動作「歩く」を、人間の赤ん坊はどのように獲得したのでしょう?
我が子の時もそうでしたが、親のハラハラをよそに、乳幼児は、ヨタヨタ歩いては、倒れます。
立った状態から2歩進む時もあるし、5歩進む時もありますが、歩き始めの頃はすぐにバタっと倒れてしまいます。
親は、我が子が倒れても怪我をしないように部屋をさっと片付けて、歩く挑戦を見守ります。
乳幼児は、失敗を全く気にすることもありませんし、なんとか頑張ろうとします。
何度も失敗を繰り返しますが、悲壮感はありません。
ニコッと笑っていることさえあります。
バタッと倒れても、諦めません。
つまり、私たちは、何度も失敗して、できるようになることを当然と考えて人生を始めているのです。
言葉にしても同じ。
赤ん坊の喃語(なんご)も次第に意味と発音が結びつきます。
ところが、ある時期から、失敗が怖くなります。
人と比べた評価をされるようになるからです。
これは、子どものせいではありません。
大人(親)のせいです。
間違った物差し(メジャー)を渡してしまうからです。
生まれた時は、その子だけの成長を喜んでいたのに、ある時期から同級生と比べての優劣を突きつけれるからです。
例えば、のび太は、昨日の漢字5問テストで、2点だったけれど、今日は4点も取れたとします。
ところが、隣のしずかちゃんは今日も5点満点でした。
この時、のび太が昨日の自分と比べたなら、2倍も伸びていて、昨日の間違いを減らせていていい調子です。
ところが、比べる相手をしずかちゃんにすると、今日もできていないことになります。
失敗が許せなくなったり、恥ずかしくなったりもします。
誰か、同級生を気にして歩き始めた人はいるのでしょうか?
人と比べることを覚えると、人の成功もの喜べませんし、自分のできなさにやる気も失ってしまいます。
突き詰めていけば、人に優っていなければ評価されないとするなら、一番になる以外ありません。
辛い生き方です。
野球なら、甲子園大会優勝。
サッカーなら選手権大会優勝。
勉強なら、、、?
私は、仕事で文書を作成しますが、間違いだらけで、何度もやり直します。
上書き保存を繰り返して、最終形に辿り着きます。
人生も同じ。
いかに失敗して、それをやり直して上書き保存をするかです。
過去の自分が大したことはなくても、上書きをする努力をすれば、きっと、良い方向に回り始める。
記憶力に少し自信がなくなっている私ですが、これからもいろんな上書きをしていこうと思っています。
今回はここまでにします。
続きはまた次回。
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