参議院選挙が近づいてきました。
国会議員を選ぶことができるのは、歴史的に考えるととても大きい意味があります。
議員選挙は明治に始まりましたが、徳川慶喜を中心とした佐幕派が目指していたのは、公武合体の仕組みでした。
幕府と朝廷、それに列藩を加えた合議制です。
そこには、民衆の政治参加は全く考えられていません。
ここでは、選挙について考えてみます。
民主主義とスピード感
「大政奉還」を行った幕府の後を引き継いだのは薩長でしたが、決定は少数の英傑たちに任されていました。
選挙制度は欧州の視察で学んでいましたが、列強の植民地にならないように、それは後回しにし、スピード感を第一にいろいろな改革が進みました。
何しろ、当時のアジアで列強の植民地になっていないのは日本ぐらいでしたから、その危機感は強いものでした。
なにしろ、長州藩の高杉晋作が維新前に潜入した上海では、場所的によいところは白人の租界地になっており、「中国人と犬は立ち入るべからず」の看板が立っていたのですから。
フランスに頼ろうとしていた幕府もイギリスに頼ろうとしていた薩長も、ただ単に国内での内戦が激化すれば、列強各国に易々と乗っとられる危険性は分かっていました。
だからこそ、無駄な戦いはせず江戸の無血開城になったのです。
そして、すごいスピード感を持って改革が進んでいきます。
横須賀の米軍が使っているドックや基地は、江戸幕府の小栗が考えられないほどの金額を使って整備したものですから、どちらの立場でも、国を考えての素早い行動でした。
選挙がない時期の改革は信じられないスピードで進みます。
しかし、権力は腐敗しやすいのです。
独裁の危険性
どれだけ、国のことを考えた政治であっても、一部のものが縁力を握ると、多くの人のチャンスを奪います。
それが、明治の自由民権運動につながったのです。
その意味では、私たちのご先祖さまの努力でやっと手にした選挙権です。
プーチンも習近平も、国のことを考えて政治家になったのでしょうが、独裁色が強まれば、他の意見が聞こえなくなり、間違いは起こります。
確かに、いちいち国民に問うことがなく、命令でことが進むのですから、社会の急激な変化への対応はやりやすいでしょう。
しかし、人権無視のロックダウン、他国への侵攻が正しいとは思えません。
今、世界は、NATO諸国の民主主義と中露の独裁国家に二分されています。
たかだか選挙と思わず、大切なの機会と捉えて、未来を変える「人」を選びましょう。
今回はここまでにします。
次回をお楽しみに。
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