大人の責任

大人の責任(42) 利より義

学校教育や子育てにおいて、情緒と知識はどちらを優先すべきでしょうか?

子供の将来を考えると、早いうちに塾に入れたり、通信教材を取り寄せた方が良いと思いがちです。(私もそうでした)

しかし、何よりも大切なのは情緒だと思うのです。

情緒を抜きにして知識や思考を鍛えると、法律の範囲でしか判断できなくなる危険性があります。

つまり、法律を守っていれば「グレーな取引」や「ずるいやり取り」もOKにしてしまう考え方が育つのです。

いくら難関大学に合格しようが、これでは寂しい人生です。

テレビのコマーシャルに「そこに愛はあるんか?」というのがありますね?

それを真似すると「そこに義はあるんか?」と問いたいです。

新渡戸稲造はその著書「武士道」の中で、「義」の大切さを繰り返し訴えています。

江戸期の武士は、経済的には恵まれていなかったけれど、「利」に走る生き方を軽蔑していました。

人として、まずは正しいことや弱いものを助けること、自分ばかりが良い目にあわないことを優先していたのです。

そして、「利」に走る生き方を「恥ずかしい」と強く感じる情緒を小さい頃から叩き込まれていました。

そういう意味では、小さい頃からの躾や教育は本当に大切です。

先輩校長のコラムから

公民館長をしている先輩のコラムが面白かったので紹介します。

先日、ある小学生の作文に出会いました。

この小学生は2年生です。この2年生の友達のA君は言葉をうまく話せません。ある日この2年生は台所でお母さんにA君のことを尋ねたようです。

するとお母さんは、こう答えました。

「子供はみんな神様からの贈り物なんだよ。A君も神様に選ばれて生まれてきたんだよ。神様はきっと、A君のお母さんなら、A君を任せられるって、そう思ったんだよ。」

それから、その後、会社から帰ってきたお父さんが、夕食を一緒に食べていて、家の障子の高いところが破れているのに気がつきました。

「あれ、誰が破いたんだ?」

と聞かれ、2年生はA君が遊びにきて、破ってしまったことを話しました。

すると、お父さんは言いました。

「そうかあ、A君はこんなに大きくなったのか・・・。」

そして。お父さんは黙って障子を張り替えたというのです。

この2年生もA君もなんと温かい大人の中で育っていることかと、心を打たれました。

豊かな人間性って、どんなことでしょうか。

調べてみると

「他人を思いやる心や感動する心など」

と書いてありました。

自分に不都合なことが起こった時(ここでは障子が破れた)、怒りに任せて注意をするのも普通の行動でしょうが、そこを子供の心を育てる好機と捉えたらどうでしょうか?

「利」よりも「義」は、難しい教育ではなく、我々大人の日常の振る舞いにかかっているのかもしれません。

今回はここまでにします。

次回をお楽しみに。

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