所属する心理的安全性アンバサダーのオンライン研修会がありました。
時間は土曜日の夜8時から10時。
結構遅い時間帯。
しかも、昼間は友達とゴルフに行って疲れており、水分(ビール)が欲しくてたまらない状態。
しかし、学びを優先しました。
結果は、大変満足するものでした。
やっぱり、やるかどうか迷った時は、やったほうがいいですね。
やらない選択をすると、未着手の選択肢がただ増えるだけでモヤモヤします。
やる選択をすると、それがたとえ満足いかないものだとしても今後の選択から外れますから、次の着手点がはっきりします。
私はいつもそうしているので、失敗は多いのですが経験値が重なります。
青年の美しさはそのツルツルした肌であり、素晴らしい吸収力をもつ脳機能であり、一晩寝れば回復する体の強さでもあります。
一方、老人の美しさは、幾多の挑戦を重ねた経験であり、失敗で得た学びであり、自他を否定しない包容力や忘却力です。
私も美しい老人になりたい(なれるかなあ?)
横道のそれましたが、今回の学びも目から鱗でした。
アイコンの可能性
コミュニケーションや学びは言葉が主役です。
しかし、具体的なものでも抽象的なものでもアイコン化すると非常に分かりやすいのです。
もともと、日本人はアニメを文化として持っています。
鳥獣戯画って、覚えていますか?
室町時代後半から鎌倉時代の初期に、人間をウサギやカエル、サルに擬人化し、当時の社会を風刺的に表現しています。
当時の古文書は解読できませんが、絵となったものは何となく分かります。
ところが、そこに自分は向き合っていませんでした。
走り書きで申し訳ないのですが、心情も顔ひとつで表現できます。
目の位置が顔全体より上にあればポジティブだし、反対に下にあればネガティブ。
言葉や色、他のアイコンと組み合わせるとさらにさらに伝わります。
私は、自分の教師としての板書をとても反省しました。
色は工夫しましたが、アイコンなしの無機質なもの。
児童生徒にとって、分かりやすいはずがなかった。
従来の発想から抜け出せていなかったのです。
教師の怠慢
教育委員会も従来の板書の発想から抜けきれず、何より自分もそうでした。
多くの他の教師もそうでした。
基本と言えば聞こえも良いですが、要は改善しないままの遺物です。
視察で行ったアメリカの学校では、ノートの取り方も千差万別。
イメージマップみたいな子もいれば、階層図を使う子もいました。
教室には、フィッシュボーンやSWAT分析図なども例示されており、ただ、黒板を写す日本の子供達に比べ、自分で考え、情報を整理・加工する頻度が高いのです。
日本では、タブレット機器なども導入されて情報の伝え方も変わってきました。
しかし、こうしたローテクのスキルも上げなければ、学びの効果は半減するでしょうね。
上手にアイコンを駆使した分かりやすい情報の伝え方や整理の仕方から、今後の可能性を感じました。
何でも知っているつもりではいけませんね。
どこにでも学びはあります。
今回はここまでにします。
次回をお楽しみに。
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