昔の大人が偉いぶれたのは、経験と情報量の多さがあったからです。
ところが、今はネットの発達で大人よりも子供の方が情報をもっていることもあります。
年配者が偉そうに語っても、ググれば出てくる情報ばかりですから、子供たちはうんざりかもしれません。
しかし、他からもたらされる情報は、観点が違うこともありますから大切です。
最近は、スマホも上手にコントロールされていて、自分に興味のある情報が便利に提供されます。
私は政治や歴史に興味がありますから、そういった情報が提供されます。
AIが機能しているのでしょう。
便利ですが、自分とは違う立場の考えやから遠ざかっていっています。
その意味では、新聞は一定の価値があります。
紙面は、興味のないものもあるものも混合しています。
ある程度時間をかけると、自分の判断を助けるものにも出会えます。
多面的な情報は大切です。
解釈は自分で
加えて大切なものは、自分で考えることです。
テレビのコメンテーターは、たかだか30秒くらいの尺で、「検討が必要」「慎重に」「未来を見据えて」と曖昧なことを言っています。
エビデンスなしの情緒的なコメントばかりです。
最新の世界価値観調査によると、テレビニュースをどの程度信用しているかが分かります。
- 日本の信用割合:7割弱
- 米英の信用割合:2〜3割
新聞にしても、その割合は同じ程度です。
つまり、自分の頭で考えず、素直に信じてしまう我々日本人の弱点が見えてきます。
ニュースは情報だと割り切って、解釈を自分でしたいものです。
今のウクライナ侵攻をしているロシアも戦時中の日本も、情報を鵜呑みにし、自分で解釈できないから不幸に陥った気がします。
適切は曖昧
いろいろな立場で情報を分析し、判断して社会は成り立っています。
しかし、判断の物差しがないままだと、間違いが起こるのは当たり前。
第二次世界大戦の初期、満州の関東軍に大本営から下された命令は
「適切に行動せよ」
極めて曖昧です。
何を持って適切なのかわかりません。
進むべきか引くべきか?
大本営の適切は、我慢して現状を解決する。
関東軍の適切は、戦況を一気に変える。
曖昧な命令では間違いが起こるのは当たり前です。
ところが今も政府の通達には「適切に判断したり、行動するように」という文言のオンパレード。
新型コロナの対策にしてもそうです。
判断の元になった情報と分析をリーダー陣と共有し、方針をはっきり伝えなければなりません。
かつて、アフガニスタンに侵攻していたアメリカの小部隊が羊を連れたおじいさんと孫に出会いました。
大方針は、「部隊の動きを悟られないために、舞台が現地人に見つかったら現地人を殺すこと」
なんとも恐ろしい大方針です。
隊長は大方針に反し、二人を脅し、自分たちのことを言うなと言って解き放ちました。
曖昧な判断をしてしまったのです。
結果は、おじいさんから部隊の居場所を聞いたゲリラがアメリカ軍を殲滅しました。
曖昧は怖い。
しかし、曖昧が命を奪う戦争はもっと怖い。
今回はここまでにします。
次回をお楽しみに。
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