小学生の昼休みの楽しみの一つにドッジボールがあります。
最近は公式戦もあり、攻守のフォーメーションまでシステマティックになっていますが、遊びでは昔のままです。
そもそもドッジとは、避ける・よける(dodge)意味ですから、逃げ回っている子も十分に楽しんでいるとも言えます。
仲間づくりの大切さ
今では、給食時間の終わりを告げるチャイムをみんなで聞いてから運動場に遊びに行きますが、昔はルーズでした。
給食当番でない仲間は、「ご馳走様」の挨拶が終わると、一目散に運動場に入ります。
場所を取らないと、他のクラスに取られてしまうからです。
そのため、いつまでも給食を食べている子がいると、遊びたい子供はイライラしてきます。
給食時間が延びては大変です。
中には、先生に見つからないように給食の苦手な子から残菜をもらって一気に食べて、すまし顔の子もいました。
それほど、昼休みに命をかけていたのです。
さて、場所取りの仲間を運動場に一人ぼっちにしてはいけません。
次々に運動場に集まる仲間は、足で線を引いていきます。
しかも列になって、線(なわばり?コート?)がしっかり見えるように。
線を引く作業は、「自分はコートづくりの役割を果たしているから、ドッジボール仲間に入れる。」という全体の暗黙の了解を得ます。
準備が整って始まるドッチボールでは
- ジャイアンみたいに豪速球を投げる子
- スネ夫みたいにその陰に隠れる子
- のび太みたいにすぐにやられる子
がいましたが、それぞれが工夫をしてなんとか生き延びようと必死でした。
必死がゆえに、時々珍プレーや好プレーも生まれ、それが息をするのも苦しいくらいのお腹を抱えて皆で笑う時間を生み出していたのです。
いま、新型コロナウィルスの感染を防ぐために、遊びまで制限されれいます。
確かに、オンラインなど新しい技術で時間を効率的に生み出し、遠い場所の講師まで空間を超えて授業に参加してくれます。
しかし、仲間と結びつくことができているのか心配です。
猿の研究では、家族だけで過ごした動物園の小猿は、集団で飼育されている動物園では不適応を起こすとか。
いつも同じ仲間や家族に守られていて自分のわがままが通る環境では社会性が育ちません。
結局、小中学生が一番に学ぶべきは、集団づくりです。
上級生から睨まれたり、同級生とトラブっても、なんとかして仲間を作っていく術(すべ)を学ばなければなりません。
それが難しい今の状況を心配します。
どんなに頭が良くても仲間づくりのできないビジネスマンが大きな仕事を成し遂げるとも思えません。
早く、コロナに退散してもらいたいですね。
今回はここまでにします。
次回をお楽しみに。
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