鼻の癌について

癌を生きる(11)癌になって考えたこと

自分の命に向き合うと不必要な日頃の悩みや遠慮も見えてきます。

仕事は特にそうです。

仕事は、責任感でやっているのか、それとも使命感でやっているのかで目指すゴールも違います。

私は、日本人的な発想で、同調圧力を気にしてしまうことがあります。

他と合わせなければならないという「責任感」です。

しかし、これでは新しいことそのものが他と違いますので前に出めません。

この20年間で日本のGDPの伸びは18%、日本人の半分しか働いでいないフランスは60%以上。

日本的に互いを気にしすぎて変革できなければ、苦労が多い割には進歩は少なくなります。

それを美徳と考えるのも一つの価値観でしょうが、本当にそれでいいのでしょうか?

生まれた意味

せっかく命を頂いて、この世にいるのですから、この存在に意義があるはずです。

私は、人間は一生の間に、ご先祖様からいただいた数えきれない引き出しの中から、いくつ開けられるかを託されていると考えています。

自分が、100個しか開けなくても、自分の子供たちが、また100個開けていきますから、そのうちに、とんでもないお宝の引き出しを開けて、多くの人様のお役に立てることがあると楽しく想像しています。

一方、この発想では、子孫を残す人だけが、次の引き出しを開けるチャンスを残し続けると考えてしまうかもしれません。

しかし、独身であってもまわりの方に何らかの影響を与え、その方の引き出しを開けるのですから、同じです。

病気になっても歳を取っても、その存在の価値は揺らぎません。

この数年で両親を亡くしましたが、弱っていく両親からいくつもの引き出しをもらいました。

「親は大事だ。」と分かっているのに、自分の両親への対応は不完全でした。

簡単な見舞いでさえも、仕事や子育てを理由にして逃げようとする自分の弱さを際立たせます。

この気づきそのものも、一つの引き出しでした。

今回、癌になって、自分の仕事も責任感ではなく、使命感で仕上げようと思っています。

私に託されたものを社会に忖度することなく、やり遂げます。

それは、passionです。

情熱です。

その日によって上がり下がりするテンションではありません。

昇進や給与などご褒美をチラつかされたモチベーションでもありません。

かっこよく表現すれば、長州藩の吉田松陰が外国船への密航に失敗し、捕縛された時

「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂」

と獄中で詠みましたが、それに似た小さな、見えないようなかけらを、この病を得て感じ取ることができたようです。

誰しも持っている能力は、自分と未来を変える力。

太閤秀吉だって、他人と過去は変えられませんでした。

自分と未来を変える取り組みはpassionが支えてくれるはずです。

今回はここまでにします。

続きはまた次回。

 

続きはこちらから

癌を生きる(12) 決意を実現する治療生活は、タイムマネジメントで質が変わります。 何しろ、私の場合は朝の8時半に治療が始まり、9時には終わります。 セミリタ...

始めから読む方はこちら

癌を生きる(1) 癌の発見のきっかけ令和3年5月20日に「鼻腔癌」だと診断されました。 まさか、自分が癌だなんて思ってもいませんでした。 しかし、なってしまった...

前回を読まれる方はこちら

癌を生きる(10) サポーターが元気の源ポジティブに生きることを決めた私です。 10年前に脳腫瘍の大手術をして、肝が据わったつもりでいます。 しかし、自信は揺らぎま...

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA