鼻の癌でのブログを進めていますが、私には脳腫瘍を克服した過去もありますから、それも何かの参考になればと筆をとります。
私は若い頃から、偏頭痛の持ち主でした。
目の奥を刺された感じの痛さが、時折襲っていました。
今思えば、それも右目。
鼻腔癌も右。
何か関係があるのかは、分かりませんが、変な一致です。
脳腫瘍発見
出張中に、それは突然始まりました。
夜の会議が延び、中身も大したことのない話し合いが続く中、強い吐き気に襲われたのです。
しかも、重い塊が頭の中を叩いています。
発言もせずに何とか会議が終わるのを待ち、車で帰途につきました。
家路を急いだ私は、高速道路を選択したのですが、それがマズかった。
車を停めて、吐くことができなかったのです。
高速を降りて一般道に入り、空き地を見つけ、腰をかがめた瞬間に吐いてしまいました。
少し気分が良くなったので、車に乗りますが、また気分が悪くなって、車を停めての繰り返しになりました。
家に帰っても強い頭痛と吐き気はおさまらず、救急車を呼ぼうかどうか迷いましたが、少しだけ治ったので、朝を待ちました。
朝になっても天井は回っています。
さすがにこれはおかしいと思い義妹に県病院に送ってもらいました。
病院では歩くことさえままならず、車椅子での受診となり、すぐにCT検査をしました。
結果は、「脳腫瘍」
部位は小脳橋角部、大きさはゴルフボールくらいです。
その腫瘍が、頭の中の髄液の流れを止めて、行き場を失った髄液の圧力で脳が腫れていたようです。
治療の前に、腫れた脳を元に戻さねければなりません。
そのままでは風船状態の脳にメスを入れすことになりますから、爆発が心配です。
爆発というか、あまりにリスキーです。
ですから、ステロイドで腫れを抑えることになりました。
薬の効果は徐々に出始め、頭痛からは解放されました。
次は、どこで手術を受けるかが大きな問題になってきました。
病院の選択
脳腫瘍を見つけてくれた病院では、ドクターが丁寧に説明をしてくれました。
おかげで、腫瘍の大きさや手術後の影響など、概ね理解もできました。
しかし、その病院で手術をするかどうかは別問題です。
どれだけの頻度で、私のような脳腫瘍の手術をしているかが気になったのです。
結果は、入院中の病院は年間20回未満、隣の県の大学病院は200回以上だとわかりました。
私は、月1ゴルファーですが、毎日行っているゴルファーに叶うはずがありません。
手術だって、同じはずです。
患者として信じるのは、情よりも技術です。
優しいけれど技術を上げる機会のない医師と強面だけれども確かな技術の医師
義理人情で命を預けるわけにはいきません。
結果的に、入院している病院の先生からも勧められ、大学病院へ転院しました。
この選択に間違いはありませんでした。
転院前に示された画像は2Dでしたが、転院後に示されたものは3Dでした。
しかも腫瘍につながる血管まで綺麗に映し出されていて
「もしもの時は、この血管を止めて、手術を続けます。」
「腫瘍は、このように根を張っています。」
と説明も詳しい上、手術に関わる医師の数は3倍です。
テレビドラマで「私、失敗しないので」と米倉涼子が決め台詞を言いますが、仕事はどれも同じです。
プロの仕事は、個人のスキルとチーム力の両方で成り立つものだと思います。
さあ、あとは手術を待つのみなのですが、試練は次々とやってきます。
そのお話は、次回をお待ちください。
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