ポジティブに生きることを決めた私です。
10年前に脳腫瘍の大手術をして、肝が据わったつもりでいます。
しかし、自信は揺らぎます。
やっぱり、一人で突き進むほど完全ではありません。
そんな私を前に向かせているのは、家族や兄弟はもちろん、私に関わってくれる人たちのおかげです。
私を支えてくれている人たち
(1)職場の部下
私の「癌」が見つかったのは、部下の強い進言でした。
本当に感謝しています。
当たり前のことだとは思えないからです。
他人事を自分事として考える利他の心だからです。
恥ずかしいことに、若い頃の私は、自分の上司の健康をそれほど心配をしていませんでした。
あの時の上司も、健康問題も含め、いろいろなことを抱えていただろうに、それに慮る力量が私にはありませんでした。
今回、部下は病院まで調べて、そこに行くように促してくれました。
入院が決まり、職場を後にした日は、玄関に皆集まってくれて、総出で見送ってもくれました。
照れた私は
「温泉に行くんだから、大丈夫。」
とはぐらかしましたが、それに対する皆の表情は様々でした。
この状況で、どんな表情を作るべきかは難しいはずです。
その一つ一つがかけがえのないものでした。
入院が決まると、Lineで気遣ってもくれますし、職場の動画メッセージを送ってくれることもあります。
治療中はケアのため、日中外に出て日差しを浴びることができず、部屋に缶詰ですから、それらを何度も見て胸が熱くなっています。
前を向く気持ちも高まります。
(2)友人たち
「癌」だと分かったときに、友人が家を訪ねてきました。
「コーヒーでもどう?」
と勧めますが、インターホン越しに、出てきてくれと頼まれました。
玄関で待つ友人は、手にお守りを持っていました。
「これは、ご利益(ごりやく)がある。他の人にもこれをあげたら、大丈夫だった。」
といって渡されました。
もちろん、お守り自体もですが、友がどんな思いで神社を訪ねて、手に入れてくれたかを思うと有難くて、目頭も熱くなりました。
人は物よりも、その物を手に入れた思いやプロセスに心を動かされます。
この思いはいつか返します。
それが、私たちの文化のような気がします。
昔、アメリカ大陸にやってきた白人に対して、インディアンが仲良くなるために木の彫り物を贈りました。
しかし、白人からは一向にお返しがありません。
不思議に思ったインディアンが白人の家に行くと、その贈り物は飾ってあるだけでした。
インディアンが贈ったのは彫り物ではなく、「思い」です。
思いを返さない文化とうまく行くはずがありませんでした。
日本の文化もインディアンに近いのかもしれません。
田舎に行くと、これでもかというぐらいにご馳走してもらえます。
ご馳走ではなく、「思い」を分けているのです。
こうして、持っているものは分け合いながら、私たちの祖先は生き延びてきました。
私も「思い」をもらったので、次は私の番なのです。
別の友人は、入院先に達筆の手紙をくれました。
このデジタルの時代に直筆の手紙は重みがあります。
内容は、「私のこれまで以上の挑戦を期待している。しっかり充電しろ。」
というものでした。
あえて、治療のことではなく、復帰後を話題にするところに優しさを感じました。
こうして、若者に習いながら、ブログを綴っていますが、底流に流れているのはアナログそのものなのなのかもしれません。
今回はここまでにします。
続きはまた次回。
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